感動の蒸気機関車 Photo Blog

蒸気機関車と写真雑記のフォトブログ

2005.06.26.Sun

グラフィティ☆蒸気機関車 no.4

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 蒸機と人の情景

 蒸機と人が織り成す情景から感動が生まれる!
四季折々の風景を走る鉄道写真。車両の編成写真。形式写真。
超望遠で機関車のズームアップ。スローシャッターで躍動感のある流し撮り。
ソフトなイメージ写真、鉄道と人の情景。鉄道写真の世界は実に多彩である。
そんな魅力的な鉄道写真の中で注目しているのは、「鉄道と人の情景」である。

 鉄道は人がいて初めて成り立つ。
鉄道は人との出会いとふれあいのシーンがある。
整備に励む機関士の姿。汽車旅を楽しむ人たちの表情。
汽車と笑顔で記念写真を撮る家族。蒸機と共に映える何気ない人との光景。
川原で、踏み切りで、手を振って歓迎する子供たち・・・。
そのどれもが魅力の被写体なのである。 

 汽車と出逢った人たちのシーンは、走行写真と違った趣がある。
特に楽しむ人たちの表情と汽車から生み出された情景は、感動的である!

 あるがままの蒸機と人の情景は、一瞬のドラマである。
だからシャッターチャンスも、その時だけの千載一遇なのだ。
ベストショットは、感動を発見する洞察力(感受性)、迅速な構図決定、
そして、的確なカメラ操作の有無で決まる。

 ドキュメンタリー写真を撮る時の偶発性は、スリリングで楽しい。
それは、作画的な演出写真を撮る安心感とは違った世界であろう。
私にとってはどちらも作品づくりの一手法として捉えているが・・・。
今のところ、ドキュメンタリーショットの方が圧倒的に多い。

 「蒸機と人が織り成す感動の情景」
それは、私とって見逃せない撮影テーマになった。
そして心に響く感動の作品を、このテーマからも生み出していきたい。
今後も蒸機牽引の列車に乗る機会も多くなりそうだ。
                                           
(2013/03改訂)
2005.06.26.Sun

グラフィティ☆蒸気機関車 no.3

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 広角レンズの威力

 広角レンズは、「格好いい写真」が撮れる!
自分の見た風景を写真で表現するにはどうしたらよいか?
撮影意図に適したレンズの選択は、広角系?標準系?望遠系? 
カメラマンは常に迅速に的確な判断をしなければならない。
これは写真撮影で誰もが行うことである。
私はいつも迷って時間をかけてしまうが・・・。

 さて、広角・標準・望遠系のレンズのなかでも特に注目されているのが
広角レンズである。
(広角レンズ・・・最近では17-35mmなどの超広角ズームレンズが普及して、
手軽に広角撮影を楽しむ人が増えてきた)

 広角レンズは画角が広く、被写深度も深いので、なにかを大きく写して、
風景もワイドに描写することができる。
(なにを大きく写すか?それは、蒸機や花や人などいろいろ考えられる)

これを写真用語で言うと、遠近感の強調と言うそうだ。
(遠近感とは、パンフォーカスとパースペクティブ効果を引き出すこと)

この遠近感の強調が鉄道撮影では、個性的で斬新な写真を生み出してくれる。
(言い方を変えると「格好いい写真が撮れる!」ということ。
鉄道写真界では俯瞰症の人が多いが、最近では広角症なる人も急増中!
広角レンズを使って格好いい写真が撮れると病みつきなるらしい)

 写真集や鉄道雑誌を見て「いいな」と思う写真は、広角レンズのものが多い。
それらの写真は厳密に言うと、肉眼の光景ではなくて、レンズを通した
ファインダーの中で表現した光景であるということだ。
つまり、見た目の風景というよりもカメラマンが作った風景(作画)だと
思ってよいだろう。
 
 そもそも、写真はカメラのファインダーを覗いてフレーミングした世界を
表現したもの。広角・標準・望遠系のレンズを問わずに、風景を切り取ること
(作画)では同じである。
しかし、レンズの描写特性として広角レンズによる事実との歪曲(デフォルメ)
効果の強さは、他のレンズの追従を許さないと言えるだろう。
(望遠系のレンズなら被写体を引き寄せて迫力を表現したり、前景や後景の
ボケ効果を狙う活用法がある)

 斬新で独自性の高い写真は、風景を漠然と撮っても得られるものではない。
(心象風景を表現したい場合は、レンズの選択だけでなく撮影技術も不可欠?) 
やはり、テーマをもって何かをアピールすることの必要性を痛感させられる。
特に広角レンズを使う時は、このことを強く意識することが大切のようだ。 

                                           
 (2013/03改訂)
2005.06.26.Sun

グラフィティ☆蒸気機関車 no.2

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 俯瞰に挑む! 

 「なぜ山に登るのか?」「そこに素晴らしい風景と蒸機の煙があるから」
 
 【俯瞰】=高い所から広い範囲を見下ろすこと、遠望、鳥瞰、絶景。

 俯瞰撮影は、鉄道写真の分野では一番人気と言ってもよいだろう。
風光明媚な景観に一条の煙をなびかせ蒸機が行く姿は、素晴らしい!

 私は現役蒸機を撮影していた時、俯瞰撮影は少なかった。
汽車の姿を一枚でも多くカメラに収めることに夢中になって、駅周辺で到着、
停車、発車のシーンをたくさん撮っていた。
それは、蒸機の息吹きや鼓動を肌で感じ取れる行動だった。
しかし、「木を見て森を見ず」のごとく蒸機そのものに目を奪われてしまい、
「よく考えて撮る」という作品づくりの意識が希薄だった。

 そして今日、私は現役当時とは撮影姿勢が変わったことを実感している。
それは、蒸機の魅力を写真表現するために「よく考える」ようになったこと。
現場で撮りたい写真は?編成写真?風景写真?情景写真?と問い掛けている。
よく考えて、感じ取り、それを表現するために「周りを観察する心の余裕を持つ」
ように自分に言い聞かせるようになった。 

 復活蒸機の撮影を始めてから4年後の晩秋に私は秩父鉄道へ出かけた。
撮影地は迷うことなく沿線で有名な長瀞橋梁の河原から狙うことにした。
紅葉を背景に撮影できる場所には、私の他にたくさんのファンがいた。
待機中、何気なく鉄橋の向う側にある山の中腹に目を向けると人の姿が見えた!
驚きであった。あんな高いところから撮っている人がいるとは!
「きっと素晴らしい眺めに違いない!自分もあの場所から撮りたい!」
そんな想いが私を未踏の高峰へと誘ったのである。

 翌年の春、いよいよあの長瀞橋梁を俯瞰する山へ登ることになった。
しかし、登り口が分からない。何度も途中まで登っては引き返す・・・。
重装備の私は、汗でびしょ濡れになりながらのハードな単独行だった。
そして、一時間以上の山行で辿り着いた場所は、河原から見えた山からの眺望
ではなかった。私が苦労して登った頂きは、そこよりもさらに高い天空の場所。
秩父盆地を見渡せる大パノラマなのであった。
この絶景に出会って、私は思わず「やった!!」と叫んでしまった。

 「この道を登れば俯瞰できるかもしれない」
ただそれだけの期待で、確かな保証もなく険しい獣道を延々と一人で登りつめて
得られた絶景に感慨もひとしおであった。
雄大な荒川河川敷にかかる長瀞橋梁がはるか遠くに小さく見えた。
その小さく見えた橋梁を蒸気機関車が煙を棚引かせて走ってゆく・・・。
長瀞ー上長瀞ー親鼻ー皆野にかけて長い間、煙を見ることができるのである。
圧巻であった!なんと素晴らしい景観であろう!
まさしく、「絶景・秩父路のSL」だと思った。

 以来、私は俯瞰撮影の虜になった。
「蒸機の撮影はアウトドアスポーツだ」と思うようになった。
私の撮影行は、もっぱら鉄道を利用して駅から歩くことを基本にしている。
四季を通じて自然に触れながら撮影地を開拓するのも撮影の醍醐味である。
また、苦労して開拓した高台での撮影は、個性を発揮する作品に結びつく。

 登山家は、「なぜ山に登るのか?」と質問されると、「そこに山(頂き)が
あるから」と答える。
同じ質問を俯瞰撮影する鉄道カメラマンにしたら、どのように返答するだろうか?
私なら、「そこに素晴らしい風景と蒸機の煙があるから」と答えたい。
                                            
 (2013/03改訂)
2005.06.23.Thu

グラフィティ☆蒸気機関車 no.1

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 熱き想い・・・

 「なぜ蒸機を撮るのか?」
 「それは、感動の被写体だから。心惹かれる被写体だから」
 
 1994年7月、私は蒸気機関車の撮影を再開した。
なにげなく新聞で読んだ、真岡鐡道SL復活運転の記事。
ビデオカメラと現役時代に使っていたカメラを持って真岡を訪問した。
人気の撮影地、多田羅の線路端で見たC12の響き渡る汽笛と煙。
現役時代を彷彿させる光景は、僕に懐かしさと驚きを与えてくれた。

 蒸気機関車の撮影は、1975年12月の北海道で終止符を打っていた。
高校時代の蒸機への熱き想いは、現役引退と共に封印されていた。
当時撮影したネガは色調の退化も著しく、時の経過を感じさせる。

 真岡鐡道の訪問を機会に、19年振りに蘇った蒸機への熱き想い。
少年の頃のように三脚とバッグを携えて線路端を歩くことになるとは・・・。
自分でも予測しなかったライフワークの大きな変化に驚いた。
 
 現代を走る蒸機は、現役時代の蒸機とは違った使命を持っている。
「今の蒸機はヘッドマークがあるから撮る気がしない」という声も聞く。
しかし、汽笛の響き、吐き出す煙、機能美などは現役の姿と変わらない。
風光明媚な景色をゆく蒸気機関車は、21世紀の今でも見れるのだ。

 私は、そんな現代ならではの蒸機に乗って、撮れることに感謝したい。
そして、その想いや感動を写真を通じて表現していきたい。

 「なぜ蒸機を撮るのか?」
 「それは、感動の被写体だから。心惹かれる被写体だから」
                                             
 (2014/06 改訂)

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